記事名/諏訪原健「『SEALDsは就職できない』はデマです」〈dot.〉
dot. 4/17(月) 7:00配信
諏訪原健(すわはら・たけし)/1992年、鹿児島県鹿屋市出身。筑波大学教育学類を経て、
現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。専攻は教育社会学。
2014年、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加したことをきっかけに政治的な活動...
一時期ネット上では「SEALDsは就職できない」という情報が駆け巡った。
しかし、元SEALDsメンバーの諏訪原健氏は、そんな批判を目にする度に「SEALDsって何なの?」と疑問を持ってしまうという。
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新年度が始まって、もう2週間が経とうとしている。
僕自身は3月31日までと同じ研究室の同じ机に座っているので、そんなに特別な感じはしないのだけど、
何だか理由もなく慌ただしい。周りの友人を見ていても、環境が大きく変わった人がたくさんいる。
それはSEALDs関係の知り合いにしてもそうだ。
【一時期ネット上では「SEALDsは就職できない」みたいなことを言われていたが、僕の知る限り、
みんなそれぞれにうまくやっている。】
そういう非難を浴びせる人って何がしたいんだろうなーと思ってしまう。
「SEALDs」とひとくくりにして非難する言葉を目にするたびに、そもそもあなたが言っている「SEALDs」って何なの?
誰なの?って疑問に思う。
SEALDsって別に会員制でもないし、実際のところ、僕にも誰がSEALDsなのか、よくわからない。
今の政治に危機感を覚えて、緊急的に片手間で集まって、ちゃんと意見していきましょうってくらいの
ゆるーいネットワークのはずだ。当然、政治活動が本業の人なんていないので、みんな他の立場を持った上で関わっている。
それなのにいつもいつも「SEALDs」って、まるで種族の名前か何かのように言われることには、
正直違和感がある。僕が今書いている原稿も「元SEALDs」として公開されることになると思うんだけど、
何か到底自分の手には負えないものが、気付いたら後ろにくっついているみたいで、何だか気持ち悪い。
僕の意見は、僕の意見でしかない。
でも多くの僕のことをよく知らない人は、「元SEALDs」の意見として読むんだと思う。
いつまでこの看板を背負うことになるんだろうなんて思う事もある。
僕らが2015年の夏、いやそのもっと前からやってきたことって、ひとくくりにして「SEALDs」と呼ぶみたいなこととは、
真逆のことだったと思っている。
世の中には「若者」とか、「学生」とか、「労働者」とか、「子育て世代」とか、何でもいいけどいろんな立場がある。
その立場に拘束されていると、ついついポジショントークをしてしまうかもしれないんだけど、
そういうのは一旦置いておいて、自分自身が今の社会についてどう思うのかを話してみようってことが大事だったんだと感じている。
「若者」とか「学生」って言っても、それぞれに置かれている状況も、見えている世界も全然違う。
だからこそ、自分自身の言葉で語らないとわかってもらえないことってたくさんあるはずだ。
無数に存在する「私」の声を、ぶつけ合って、練りあわせて、「公」の決定として取りまとめていく。
それが政治なんだと思う。「国政」とか「安保法制」と言うと何だか大げさな感じがするけど、それって日常の中で当たり前にやっていることと何ら変わらないはずだ(中略)
私たちは日々いろんな場面で意見をすり合わせて、その社会における答えを作り出している。
別にあえて「政治」と呼ばなくても、私たちは政治に囲まれて暮らしているのだ。
それなのに、政治活動をやったら就職に差し障りがあるとか言われるような社会って健全じゃないと思う。
政治に関わることを特別視する必要って全然ない。
ポジショントークをして、何か言った気にならないで、自分自身の考えを表明したら良い。
別に政治の専門家じゃなくても、片手間でもいいんだ。いやむしろそんなあなたの意見こそ重要なんだ、と僕は思っている。(諏訪原健)
◎全文は下記からどうぞ(・ω・)ノ
https://dot.asahi.com/dot/2017041400039.html